わたしも昔は文庫イコール日本語(日本文化)の伝承という頭があって、日本作家の本や紙芝居、昔話絵本、といったものを集めなくては、、と思っていました。
でも季刊紙、「子どもと本」に出会い、その考えは捨ててしまいました。 (もちろん美しい日本語、日本文化の伝承については、文庫の中でわらべうたや遊び、 手仕事の中でしていきたいと思います。 ここではあくまで選書についての話です。) この「子どもと本」との出会いが私の本に対する考えを変えました。
私は一昨年の末から2ヶ月半日本帰国中に、実家の近くにある、厳しい目でしっかり選ばれた絵本や児童書しかない私営の子ども図書館で、「子どもと本」選書を中心にかなりの絵本を借りてきて子どもと読んでいました。その当時、伊藤忠財団からの助成で文庫に満額がおりたので約200冊の本を選ぶのに苦労したのは、「日本作家の絵本が少ないからもっと入れて欲しい」という文庫メンバーの要望にどう対処したらいいか、ということでした。
しかしなにより、じぶんで子どもと一緒に読んで読んで読み続けていったら、日本人作家、海外の作家という枠を通り越して本当に面白い本というものに落ち着くしかありませんでした。
以下は尊敬する先輩の方からそのトピックについて過去にお返事をいただいたものを織り交ぜながらまとめてみました。
1、核になる本
子 どもの楽しむレベルというのはいろいろあって、馬場のぼるさんの「11ぴきのねこ」とか、林明子さんの「はじめてのおつかい」とか、それなりに楽しむ時期 というのもあると思います。問題なのは、そればっかりになってしまうお母さん方の意識であって、その他にも子どもたちへちゃんとした本の選択肢が並んでい れば、あまり目くじら立てることもないレベルというのがあると思います。
(ヨーロッパの文庫運営の方より)
前出の私営図書館の図書司書の方も「浅いところで楽しむ本」、「深いところで楽しむ本」ということをおっしゃっていました。核になる本はやはり押さえておかなくてはいけません。
浅いところで楽しむ本、と書きましたが、それももちろん絵もよく、ストーリーもしっかりしたものがお勧めです。
最近思うのですが、あっという間に子どもは大きくなってしまいます。子どもと一緒に本を読める時期、この大切な時間、やはりずっと子どもの心に残るような厳しい目で選ばれた本を一緒に楽しみたいですね。
2、物語を楽しむこと
日本語の勉強のため、文字を修得させよう、しつけ、という目的で本を選んだり読んだりすると、純粋に本来の絵本から得られることから遠ざかる気がします。
本当に良い絵本は読み手のお母さん(お父さん)も読んでいて心を動かされたり楽しくなるはずです。子どもと一緒にぜひその時間を大いに楽しみましょ う。 シュタイナー学校日本語教師のI先生も先日の文庫主催の講演会でおっしゃっていましたが、物語を楽しむことがまず第一で日本語修得はあとからお まけで付いてきたらいいな、くらいに考えましょう。 物語を楽しむことが出来れば日本語に対して良いイメージが出来、自然に自分から日本語をもっと習得し たい、と思うようになるでしょう。
3、往年の有名作家の名文に触れよう
これについてはメルボルン子ども文庫の渡辺鉄太氏が専門家ならではの素晴らしいご返答をくださいました。
日本の児童書の翻訳作品の問題ですが、日本で出版されている児童書、特に絵本の6割以上は翻訳ものなので、文庫のセレクションにも自然と多くなります。 1950年代以降、日本の絵本や児童文庫は、欧米の児童文学、特にファンタジーの影響を受けて充実しましたから、日本で読まれている「古典」には欧米もの が多くなります。福音館書店、岩波、偕成社など、主要な出版社の本は大半は翻訳ものです。
海外のものは原書で読めばいいという考えです が、英米の作品ならまだしも、オランダ、フランス、ドイツ、東ヨーロッパ、ロシア、アジア、中東、最近では中国や韓国などの本では、日本語に翻訳されてい ても、英語になっていないものが大量にあります。またオーストラリアには、アメリカの昔の古典作品が驚くほど少ししかなく、アメリカの古典は日本語で読ん だ方がたくさん読めるくらいです。
また、純粋な日本作品にこだわると、翻訳をたくさん行った石井桃子、村岡花子、瀬田貞二、中谷千代子、 矢川澄子、まさきるりこ、松岡享子など(渡辺茂男も、ふくまれるかもしれませんが)、往年の有名作家の名文には触れられないことになります。日本の批評家 や児童図書館員の共通した見解では、海外の作品でも、日本語に翻訳されている良書は、推薦すべき「日本語の児童文学である」ということだと思います。私も 同感です。私の考えでは、美術的にも文学的にも優れていて、良い日本語で書いてあり、私たちの生活に関わりのある面白い作品であれば、どこの文化の本で も、それは読むべき本だと思います。
4、バージニア・リー・バートン のような作家と 日本の大量生産の本について
バージニア・リー・バートンは私の大好きな作家の1人ですが、「子どもと本」第4号のマイク・マリガンとスチーム・ショベルの書評には彼女についてこう書いてあります。
彼女の作品はどれも子どもを引き込むだけのストーリーがあり、子どもの知識欲を満足させ、子どもを十分に楽しませる絵があり、そして作者の主張がある、優れた絵本とはこういうものをいうのではないでしょうか。
彼女の本は確かに蒸気機関車やスチームショベルカーがまるで血の通った生き物のように生き生きと仕立ててあります。そして全てその仕事など細部まで正しく書き込んであり、知識としてもとても楽しめる本です。「せいめいとれきし」 にいたっては彼女はこの1冊のためにに科学博物館へ通って8年の歳月をかけて書き上げたそうです。
「ちいさいケーブルカーのメーベル」(子どもと本第6号)では、大都市化していくなかで、人間の持っている善良で素直で、やさしいところが失われていくところに抗議のメッセージが、「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」では彼らの建設という仕事を社会の中にきちんと位置づけられていて、登場人物をたたえた歌を繰り返し歌うことで共同作業の意味を子どもたちに納得させて前に進んでいます。
1家に1冊あるといい、とお勧めの「せいめいのれきし」では、前半でみせた天文学、地質学、古生物学、歴史、これらの知識を、私たちの身のまわりまでずっと引っぱってきて、私たち一人一人と深い関係があることに気づか せ、私たちが今、生きている意義をもう一度、考えさせる本です。子どもは今、こういうことをはっきりと意識するわけではないが、無意識のうちに、基本と なる考えかたとして子どもの心の奥深くに残るでしょう。 「子どもと本」第10号書評より
彼女の本からは便利になる世の中でそれでも私たちが、残していかなければならないもの、失ってはいけないもの、大切なもの、について深く考えさせられます。
日本では毎年2000冊以上の絵本が出版されていると聞きました。ある意味世界でも一番の絵本大国といえるでしょう。しかし、この中でどうしても子どもに読みたい質の高い本はどれくらいあるか、を考えると手放しで喜ぶことはできません。逆に慎重にならざるをえません。
ある作者がか つて素晴らしい絵本を1冊作ったとしても、その作者が人気者になって3カ月おきに新しい絵本を作っていたらそれは最初の1冊と同じくらい素晴らしい絵本かどうか、安易に作られた本ではないか、を子どもに手渡す前にしっかりと見極める必要があると思います。大人の小説とは違い、子どもの本にいたっては、商業的な意図や締め切り日があって作るのではなく、子どもに伝えたいメッセージがあるから作る、という純粋な気持ちでないと良いものは作れない、と私は思う のです。
5、本の歴史 - 日本の作家は海外の作家の影響を少なからず受けている
ICBAの海外文庫担当のAさんに頂いたみやまえ・文庫グループの「子どもの本の展示―19世紀から現代まで」の年表のようなブックリストを見ると、
1658年に初めてコメニウスが「世界図絵」(独)子どものための初めての絵入りの本を作り、その後、フォンテーヌ、ペロー、ニューベリー、と続き、その 後、グリム兄弟が「子どもと家庭のための童話」(独)を作ったのが1812年。19世紀までにこの他、アンデルセン「童話集」、「不思議の国のアリ ス」、「ドム・ソーヤの冒険」「「ロビンフッドのゆかいな冒険」などなど、子どもの絵本の基礎を確立した芸術家たちが誕生しています。
1900年から1939年までポターの「ピーターラビットのおはなし」、ガアグの「100まんびきのねこ」、マージョリーフラックの「アンガスとあひる」、バー トン「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」、ドハーティ「アンディとらいおん」、ベーメルマンス「げんきなマドレーヌ」などが世に出ました。
1940年から1949年まで「絵本の黄金時代」といわれて、マッ クロスキー「かもさんおとおり」、レイ「ひとまねこざるときいろいぼうし」、エッツ「もりのなか」、バートン「ちいさいおうち」、リンドグレーン「長くつ 下のピッピ」、レンスキー「ちいさいしょうぼうじどうしゃ」、マーシャ・ブラウン「せかいいちおいしいスープ」など、書ききれませんがたくさんの素晴らしいロ ングセラーの作品がこの世に出ました。
日本では「岩波子どもの本」創刊が1953年、月刊絵本「こどものとも」創刊が1956年です。 1950年代以降、日本の絵本や児童文庫は、欧米の児童文学、特にファンタジーの影響を受けて充実しました、と渡辺鉄太氏もおっしゃるとおり、年表を見るとうなずけます。
「こどものとも」を創刊された松井直さんの著書「絵本とよろこび」には、画期的な彼の月刊「こどものとも」をはじめることになったきっかけについて触れておられ、それには「岩波のこどもの本」シリーズの「はなのすきなうし」(マンリー・ローフ作 ロバート・ローソン挿絵)-絵本コラム第一回に紹 介、などの翻訳絵本を、実際にわが子に読んでやってみて、幼児にとって本格的な物語の絵本がいかに魅力のあるものかを思い知らされた、とあります。
それでは日本人作家の本のお勧めにいきます。
下記にお勧めの絵本を並べるにあたって、正直まだ全くの勉強不足で日本人作家の本で知らない本もたくさんありますので、私の知っている中でお勧めの本を並べ てみました。 しかしその中で特筆すべきは赤羽末吉さんの本は本当に素晴らしいです。今、彼の作品にかなり親子ではまっています。
今回見落としているもの、忘れているものもあると思います。そういうのは次回以降に紹介して行きたいと思います。
私が信頼している「子どもの本」では下記の3冊はお勧めとなっています。
作: 松居 直 (再話)
絵: 赤羽 末吉
作: せたていじ(再話)
絵: 赤羽 末吉
作: 中川 李枝子
絵: 中川 宗弥
ここに私のこれは良かった、と思う本を足しますと
作: わたり むつこ
絵: ましま せつこ
作: 平野 直 (再話)
絵: 太田 大八
作: 石井 桃子
絵: 深沢 紅子
この「やまのこどもたち」と同じく石井桃子さん作の「やまのたけちゃん」もとてもお勧めです。
作・絵: 加古 里子
加古里子作、絵のだるまちゃんシリーズはどれか一冊選ぶならこれが一番面白いと思います。2番目に「だるまちゃんとだいこくちゃん」を選びます。
作: 渡辺 茂男
絵: 山本 忠敬
作: 脇 和子(再話)
絵: 大道あや
作: 小澤 俊夫 (再話)
絵: 赤羽 末吉
作: 川崎 大治
絵: 太田 大八
下記3冊は昔話ならではの残酷な表現が入っていますから、怖がる子どもさんには小学生低学年や6歳くらいからがいいでしょう。5歳以前だと子どもさんによっては余計な恐怖心を植え付けてしまう可能性があります。
作: 稲田 和子(再話)
絵: 赤羽 末吉
作: おざわとしお (再話)
絵: 赤羽 末吉
作: 小澤 俊夫(再話)
絵: 赤羽 末吉
以上です。
日本人作家の書いた本で世界の民話を再話にしたお勧め本がありますが、量が多くなるので今回は純粋に日本のお話を選びました。
6、昔話ははしょらない、優れた挿絵、テンポの良いテキストが重要です
最近は悪者が登場しなかったり、残酷な場面を子どもに話すのは良くないのではないか、とご都合主義に書き換えられた原作と違うお話がたくさん出回っています が、それでは昔話を子どもに伝える意味がありません。原作に忠実でお話とよくあった挿絵、明瞭なテキストでぜひ読んで欲しいと思います。
先日の文庫主催のI先生のお話にもありましたが、勧善懲悪を子どもはこういった昔話、メルヘンを通して、善への共感、悪への反感、という形で自然に正 義、誠、愛、勇気などの感情を育てていくと思われます。 もちろん昔話、メルヘンだけを語ればそれが育つというわけではなく、それ以外に子どもを取り巻く 環境、親、教師など周りの大人が道徳的態度―誠を示す、も重要になるでしょう。
実は今日、童音社の日本昔話シリーズ全60巻のうちの1冊 「牛方と山んば」を読みました。上記にあげたおざわとしおさん再話の「うまかたとやまんば」と同じ話なのですが、同じ話でもこうも違うのかと愕然としまし た。この本は全体的に子どもにはわからないだろう、といらない説明文が随所に加えられていて、それが逆にお話のテンポを悪くさせています。これでは子ど もが想像したり考える間もなく、答えを与えているようなものです。 絵も通俗的でお話しとあっていなく、第一、山んばがちっとも怖く描かれていません。 これでは“山んばに食べられそう”、という主人公の恐怖も全く伝わってきません。ぜひそういった本ではなく、真摯に昔話を表現した本を読んで欲しいと思 います。 *このシリーズ全ての本がこのように悪いというわけではありません。